極私の歴史~成長期
・「極私」成長期
また、世紀末はインターネットの成長期でもあった。
1999年、二ちゃんねるが開設される。
後にSNSと呼ばれる、これらのネット掲示板は、自分が働く会社・通う学校の出来事や、政治、文化、芸能、恋愛等の悩み相談など、様々な物事を、家族や、近隣の友達以外と話をする場が出来るようになった。
しかし、初期二ちゃんねるの存在は、西鉄バスジャック事件(2000年)の犯人が書き込んでいた等の報道で大衆に知れ渡った感があり、多くの人達にとって、ちょっと特異で不気味な存在でもあった。
(その方向を変えた出来事として「電車男」(2004年)の話題がありますが、ここでは割愛します。これ、2004年だったんだね~。)
二ちゃんねるは、ネトウヨであったり、その後様々なサイトで度々起きる炎上であったり、見えないところで一方的にDISるという表現が生まれる土壌を作ったという点においても、大変意義のあるサイトの誕生だった、とも思う。
そんな中、2001年、小泉純一郎さん(※極私度数75%)率いる小泉政権が誕生する。
(この年の9月11日、アメリカ合衆国で同時多発テロが起きた。まさに21世紀は、こうやってスタートしたのでした。)
小泉さんは、連立政権で死に体になっていた自民党を、蘇らせる原動力になった人でもあったが、その発言の数々は、良くも悪くも後の時代に影響を及ぼしたと思われる。
「私の内閣の方針に反対する勢力、これは全て抵抗勢力」
「この程度の公約を守れない事は大した事ではない」
「自衛隊が活動している地域は非戦闘地域」
など、ワンワードポリティクスや、小泉劇場などと評された、その思考の根源は、2004年、国会で「バカの壁」(養老孟司著)をイメージさせるような発言で、自衛隊のイラク派遣慎重論に対して反論した時に凝縮されていたように思う。
小泉さんが取り上げた「バカの壁」の本のオビには
『「話せばわかる」なんて大うそ!』
と書かれてあり、内容は
「人間というものは、結局自分の脳に入ることしか理解できない」
というもので、
「どうせ話したって判らない奴は解らない」
という小泉さんの極端な考え方と伴って、議論は空虚かも?という雰囲気が世間にジワジワ浸透していく。
ここら辺りから哲学者カエサルが言った
「人は自分が見たいと思う現実しか見えない」
という、かなり狭量な極論が、養老さんの著書と被りながら当たり前のように公で語られ始める
。
この考え方は、他方で自己実現という概念
「健全な人間は、人生に究極の目標を定め、その実現のために努力する存在である。(カール・ロジャース)」
や、それよりずっと以前に語られていた
「思考は現実化する。(『頭を使って豊かになれ』1928年、ナポレオン・ヒル著)」
などが、かつてないほど広まり、現在では、誰が言ったか、どういう意味だったか知らない人達でも普通に使っているような言葉に成長している。
その小泉さんの発言のおよそ一ヶ月後、イラクで人質になった日本人に対して「自己責任論」なるものが、様々なところで声高に叫ばれ、「派遣やむなし」の世論が、より強まっていく。
これは、それまで潜在的に眠っていた極私が、カタチとなって現れ始めたエポックメーキング的出来事でもあった。
そして2004年10月、とうとう日本人の青年がアルカイーダにより殺害される。この殺害映像はインターネットで流され、翌年誕生するYouTube、2006年ニコニコ動画という、ネットで動画を観る時代を、ある意味で推し進める出来事でもあった。
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