極私の歴史~黎明期
現在よく取り上げられるクレーマーや様々なハラスメント、モンスターペアレント、ネトウヨ等、一方的にDISる人達を総称出来る用語でもある「極私」は、一体いつ頃から始まったのだろうか?
その歴史を辿ってみよう。
・「極私」黎明期
1950年代、第二次世界大戦を終え、世界は言論の時代へ進んでいた。
19世紀以降、各国々を取り仕切っていた分かりやすい権力構造が崩れた為に、それまで出来なかったあらゆる議論が可能になっていたが、それを更に加速した時代だった。
それはそれまでの様々な慣習や、常識を根本から考えて、ぶつけ合う議論だったので、今までタブーだった(人種、性別、年齢、身分など)様々な差別や偏見、抑圧を論じ、新しいスタンダードを築く意欲に溢れた時代へとなっていった。
冷戦の時代でもあったこの時期は、当然のように思想的な違いが表面化しやすく、時により(デモや紛争、戦争などの)闘争によっての決着を迫られたりする為、一人で悦に入っているだけの、単なる「極私」は相手になどされる訳もなかった。
そして1989年、時は11月9日。東ドイツと西ドイツの二国を隔てたベルリンの壁が崩壊する。
これ以降、雪崩のように共産主義を唱えた国々が崩壊していく。
それは論戦においても一つの決着と見なされたようで、少しずつ狭量な現実論や、古めかしい民族論、とても怪しい歴史観が世界を蹂躙し始める。
それが後の「極私」の世界を構成していくのだった。
(一応誤解がないように言っておきますが、それらの共産主義国家があった方が良かったなどと言うつもりは一切ありません。)
・「極私」初期
1992年、雑誌『SPA!』(扶桑社)に『ゴーマニズム宣言』(小林よしのり著)が連載される。
今、思うと、この小林よしのりさん(※極私度数90%)こそ、「極私」の創始者ではなかったかと感じてしまう程、その態度、言動は際立っている。
わざわざ
「ゴーマンかましてよかですか?」
と尋ねてくれるので、一応大人の対応なのかなと思いきや、彼の思惑から外れる人達へのDISりようは尋常ではなく、言論の衣を着た暴言の数々は目に余る程で、それは熱狂的な読者を生み出す原動力でもあったと思われる。
この時期は新興宗教の時代でもあり、その後、大変な事件を巻き起こすオウム真理教も性急な活動を繰り広げていた。
その中でマスコミからの様々な対応を一手に引き受けた上祐史浩さんの、相手の質問を遮って一方的に言い切るディベート術を高く評価する人達も現れたりした。
1991年バブル崩壊、1995年阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件を経て、いよいよ日本は混迷していく。
1996年から2001年にかけて行われた金融ビッグバンは、それまでの護送船団方式を崩壊させ、バブル崩壊の後、立ち直る兆しが見えない日本企業に更なるダメージを負わせる。
そして1999年、自民党と公明党による連立政権誕生により、自民党による55年体制も崩れ、それまでしっかりと築いてきたはずだった日本社会の基盤は砂のように脆く崩れ、国民の日本社会に対する不信や諦めは、より深まっていく。
世紀末の中で、段々と高まってくる先の見えない不安感が「人のことなんか、かまっていられない。」という心理を生み出し、自分探しなどという言葉も使われ出して、それぞれが生き残っていく為の道具としての個性・適職を探し始めた中で、極私はジワジワと育っていた。
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