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	<title>にほん文化ブンカ論!!!!! &#187; jinoryu.com</title>
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	<description>僕らの街はずっと変化し続けてる。</description>
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		<title>スポーツと勝負論</title>
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		<pubDate>Wed, 02 Sep 2015 11:30:14 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[jinoryu.com]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[社会学 / スポーティな時代]]></category>

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		<description><![CDATA[「強い者が勝つのではなく、勝った者が強いのだ。」  <a class="mh-excerpt-more" href="https://bow-ojigi.com/bunkaron/sporty-era/%e3%82%b9%e3%83%9d%e3%83%bc%e3%83%84%e3%81%a8%e5%8b%9d%e8%b2%a0%e8%ab%96/" title="スポーツと勝負論">[...]</a>]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><strong>「強い者が勝つのではなく、勝った者が強いのだ。」</strong></p>
<p>スポーツ選手がこの言葉を使うと、とても虚しく感じます。</p>
<p>強い者は勝利に一番近いところにいるのは間違いないはずです。<br />
だけど、強くなくても勝てる場合があります。</p>
<p>勝つことが一番大事だとすれば、勝つ為に卑怯な手段を取る者もいるでしょう。<br />
なり振り構わず勝ちにこだわる人がいれば、それに応じたズルさや汚さは必要なモノになってきます。</p>
<p>このズルさ、汚さも強さの内なのでしょうか？<br />
ズルさや汚さに頼るのは、自らの本質的な弱さを認める行為なのではないでしょうか？</p>
<p>「強さ」の中には、人の分まで頑張れる許容量や、それぞれの意思を尊重出来るような包容力、どんな苦境にも耐えうる精神力などや、負けを認める清さや、むやみに戦おうとしない穏やかさも入っていると思います。</p>
<p>観る側も、人の勝利に便乗して気分よくなろうとするのではなく、</p>
<p>「弱い者が強い相手に正々堂々と向かって行って、一敗地に塗れたとしても、ズルをして勝とうとするより遥かに強い。」</p>
<p>「勝負で本当の強さは分からない。」</p>
<p>と感じながらスポーツを応援すれば、スポーツは次の次元に進んでいけるのだと思います。</p>
<p>&nbsp;</p>
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		</item>
		<item>
		<title>勝者には何もやるな</title>
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		<pubDate>Sat, 29 Aug 2015 03:05:43 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[jinoryu.com]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[社会学 / スポーティな時代]]></category>

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		<description><![CDATA[勝者には何もやるな」&#8221;Winner T <a class="mh-excerpt-more" href="https://bow-ojigi.com/bunkaron/sporty-era/%e5%8b%9d%e8%80%85%e3%81%ab%e3%81%af%e4%bd%95%e3%82%82%e3%82%84%e3%82%8b%e3%81%aa/" title="勝者には何もやるな">[...]</a>]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>勝者には何もやるな」&#8221;Winner Take Nothing&#8221;, 1933年</p>
<p>アーネストヘミングウェイの有名な言葉です。</p>
<blockquote><p>「他のあらゆる争いや戦いと違って、前提条件となるのは、勝者に何ものをも与えぬこと――その者にくつろぎもよろこびも、また栄光の思いをも与えず、さらに、断然たる勝利を収めた場合も、勝者の内面にいかなる報償をも存在せしめないこと――である。」<br />
（三笠書房刊『ヘミングウェイ全集 －第1巻－』谷口睦男訳）</p></blockquote>
<p>この痛烈な言葉の真意は、現在のようなジャーナリズムが産声を上げた時代、勝利の為に命を奪い合う戦争の報道を通じて、彼の仕事でもあった記者としての経験から、単純に勝利がモチベーションになることで生まれる不順さ、怖さ、浅はかさが、今後社会を覆うことを予見した警笛なのだろうと思います。</p>
<p>それが現在では、</p>
<blockquote><p>有名なヘミングウェイの言葉「勝者には何もやるな」。</p>
<p>この言葉は、<br />
勝利するまでの過程こそが何にも変え難いほど素晴らしいこと<br />
という意味だと理解しています。</p>
<p>（「渋谷で働く社長のアメブロ」より）</p></blockquote>
<p>というような、ある一面を切り取っただけの、内容の薄い論調が増えてきています。</p>
<p>受験も、就職も、恋愛も、仕事も、果てには出生に至るまで、様々なものに勝ち負けが存在すると考えることは健全でしょうか？</p>
<p>もしそうなのだとしたら、勝者以外は何の価値もありません。<br />
誰もがいつか勝者にならなければいけない社会。<br />
何処かの、誰かの勝者になる為に、ただ戦うだけの人生。<br />
なんだかとても虚しく思えます。</p>
<p>当初、オリンピックが、なぜ世界の平和の祭典でなければいけないと考えたのか？<br />
なぜ、ヘミングウェイは勝者に報酬を与えるべきじゃないと思ったのか？</p>
<p>勝負事の中で、最も神格化された競技スポーツによって生み出され続ける価値観は、現時点ではヘミングウェイの思いを完全に裏切ってしまっているようです。</p>
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		</item>
		<item>
		<title>スポーティとは？</title>
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		<pubDate>Fri, 21 Aug 2015 23:07:27 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[jinoryu.com]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[社会学 / スポーティな時代]]></category>

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		<description><![CDATA[スポーティとは？ 人生をスポーツのように考え、行動 <a class="mh-excerpt-more" href="https://bow-ojigi.com/bunkaron/sporty-era/what_is_a_sporty/" title="スポーティとは？">[...]</a>]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<h3>スポーティとは？</h3>
<ul>
<li>人生をスポーツのように考え、行動する人のコト。</li>
</ul>
<h3>スポーツVSスポーティ</h3>
<p>猫がじゃれ合ってる。<br />
引っ掻き、噛みつき、泣きわめく。<br />
こういう時、猫は怒ってるんだろうか？楽しんでるんだろうか？<br />
思いが伝わらなくて切なかったり、じゃれた後、突然虚しさが訪れたりするんだろうか？</p>
<p>猫に直接聞けないから分かんないけど、おそらくそのどれでもないんだろう。<br />
そして、こんなことを考えるのは、きっと人間だけなんだ。</p>
<p><strong>スポーツ。</strong></p>
<p>それは、そんな人間だからこそ出来る、深くて面白いじゃれ合い。<br />
誰かと正当に競う為のルールを作り、競い合えるように努力して、その過程で段々自分を理解して、関わる人達との信頼を築いていって、何かの結果を得たりできる、人間らしい遊びなんだ。</p>
<p>スポーツは戦争の代わりなんかじゃない。<br />
戦略を立てたり、駆け引きしたり、騙したり、奪ったり、倒したりするけど、スポーツは純粋に互いの信頼がなければ成り立たないゲームなんだ。</p>
<p>だけど、スポーツを代理戦争のように考えて、そこから自らが仮想する戦場での戦い方を学ぼうとする人達がいる。</p>
<p>地位や名声や富を得る為に、受験に合格する為に、会社を経営していく為に、ゲームで相手を負かす為に、国の威厳を保つ為に、勝手に戦っている気になってる人がいる。</p>
<p>僕達が生きる社会は、スポーツと違って厳然としたルールがある訳じゃないし、競技のように分かりやすく出来てもいない。<br />
そこでスポーティに闘えば、犯罪でなければ何をやってもよさそうに思えてくる。<br />
それが怖くなるから法律で縛ることで安心しようとする人も出る。</p>
<p>ここで言う「<strong>スポーティ</strong>」は、スポーツの競い合いと実社会の闘争を混同して考え、実行し<strong>、</strong>啓蒙している人達のことなんだ。</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>スポーティな時代</title>
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		<pubDate>Fri, 21 Aug 2015 17:11:12 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[jinoryu.com]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[社会学 / スポーティな時代]]></category>

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		<description><![CDATA[銀河鉄道999の主人公、星野鉄郎は、「永遠の命」を <a class="mh-excerpt-more" href="https://bow-ojigi.com/bunkaron/sporty-era/sportyera_comming/" title="スポーティな時代">[...]</a>]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><strong>銀河鉄道999</strong>の主人公、<strong>星野鉄郎</strong>は、<strong>「永遠の命」</strong>を得る為に999に乗って旅に出ます。<br />
その旅の中で、永遠の命によって何が得られるのか？はたしてそんな物が必要なのか？と、読者も鉄郎と共に悩み、考えることが、この物語のテーマでもありました。</p>
<p><strong>ワンピース</strong>の主人公、<strong>ルフィ</strong>は<strong>海賊王</strong>になる為に航海を続けます。<br />
もちろん、それは容易いことではありません。<br />
だけど、ルフィはなぜ海賊王になる必要があるのでしょうか？</p>
<p><strong>○スポーティな時代。</strong></p>
<p><strong>競技スポーツ</strong>には、<strong>なぜ</strong>という因果律がありません。<br />
ルールに則り<strong>勝者を決めるゲーム</strong>です。</p>
<p>例えば「なぜサッカーのフィールドプレーヤーは手を使っちゃいけないの？」とか、「なんで3回ストライク取ったらアウトなの？」と聞かれても、そう決まってるからと答えるしかありません。<br />
それがなんであれ、そうやってルールを共有出来るから、楽しく遊べるんです。<br />
だから、目的は勝利でいいし、それを<strong>叶えること</strong>が<strong>結果</strong>になります。</p>
<p>無慈悲な闘いをするのではなく、正しく競おうとするスポーツ。<br />
その純粋さこそが、スポーツ最大の魅力なんだと思います。</p>
<p>だけど、それが世の中の全てのような言い方をされると、それは違うと思うんです。<br />
<strong>「人生は闘いだ！</strong>」とか、「<strong>自分に負けたくない。</strong>」とか言う言葉に、簡単に同調出来ないんです。</p>
<p>永遠の命の意味を懸命に考えた鉄郎のように、スポーティな時代の意味を一緒に考えて行きましょう！</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
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		<title>２０世紀～スポーツ復興の時代</title>
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		<pubDate>Thu, 20 Aug 2015 16:15:59 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[jinoryu.com]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[社会学 / スポーティな時代]]></category>

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		<description><![CDATA[スポーツの語源は、気晴らしだといいます。 その気晴 <a class="mh-excerpt-more" href="https://bow-ojigi.com/bunkaron/sporty-era/era_of_sports/" title="２０世紀～スポーツ復興の時代">[...]</a>]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><strong>スポーツ</strong>の語源は、<strong>気晴らし</strong>だといいます。</p>
<p>その気晴らしを更に「<strong>世界の平和の祭典</strong>」まで昇華した<strong>近代オリンピック</strong>第一回開催が、あと数年で20世紀を迎える1896年、<strong>アテネ</strong>（ギリシャ）で行われました。<br />
近代オリンピックの父、<strong>ピエール・ド・クーベルタン</strong>が言った「<strong>参加することに意義がある</strong>」という言葉は、争い事が続く世の中へのメッセージでもあったのでしょう。</p>
<p>そのオリンピックを政治的に利用しようとしたのが、<strong>ナチスドイツ</strong>でした（第11回ベルリン大会、1936年）。<br />
「<strong>スポーツイベントを利用して愛国心を高める。</strong>」<br />
そこにはオリンピック本来の開催意義とは対局の考え方がありました。</p>
<p>第二次世界大戦の後は冷戦の中でオリンピック自体がスポーツの名を借りた<strong>イデオロギー闘争</strong>の場にもなっていきます。<br />
もう、こうなってくると「気晴らし」などと言っておられません。<br />
選手達が国を背負って戦わなければならないプレッシャーは如何ほどだったのか想像するのも怖くなります。</p>
<p>時は経ち、1984年。<br />
先進国の産業が製造業から第三次産業へと移管していたこの時期に、それまでの規模とは桁違いのオリンピックが開催されます。<br />
華々しく行われた第23回<strong>ロサンゼルス・オリンピック</strong>は、商業化と選手のプロ化を推し進め、前述した「参加することに意義がある。」という大会趣旨を覆し、勝つことに焦点をあてる為に、すでに死に体になっていた冷戦構造さえも、しっかり商売に利用したこの大会は、世界に「<strong>スポーツは膨大な富を生み出せるんだ</strong>」ということを認識させました。<br />
この大会を経て、スポーツはより<strong>エンターテイメント化</strong>し、大きな投資の対象にもなっていきます。</p>
<p>そしてスポーツが果たす役割は、いつの間にか単なる「気晴らし」から「<strong>生きる希望</strong>」や、「<strong>人生論</strong>」のようなものにまで及び、競技の勝者から「世の中を」勝ち抜く為の<strong>メンタル</strong>を学んだり、勝利を導いた指導者の考え方を会社経営や<strong>自己啓発</strong>のようなもの取り入れたりする者も現れ始めます。<br />
ここまで来ると、スポーツは一つの<strong>信仰</strong>のようになってきます。<br />
分かりやすい「勝利」という結果が、多くの人達をその信仰へと導いていくのです。</p>
<p>本来、私達の生活の中に織り込まれている様々なものには、どれにも等しく価値も意味もあり、学べることもいっぱいあるでしょう。<br />
だから生きることを試合のように捉えるのも、競技スポーツから「人生を勝ち抜く為」の教訓を学べると考えるのも、アリなんだと思います。<br />
特に現在のような表面的とはいえ<strong>自由競争</strong>の社会を生きていると、生きていく為に「<strong>勝者</strong>」にならなければならないと考えるのも分からないわけではありません。</p>
<p>だけど多くの場合、そう考えるにはそう考えるだけの前提があるものです。<br />
過剰に<strong>競争を促す社会</strong>の仕組みそのものが問題であって、全ての人達が激しい競争を<strong>選んだ訳</strong>でも、<strong>望んだ訳</strong>でもありません。<br />
結果、それぞれの競技の中で競うスポーツは、その時代の<strong>啓蒙</strong>に最も都合がよかっただけのような気がします。<br />
そこが分かっていないと、ルールが変われば「みんな仲良く平等でなければならない！」と過剰な平等意識を即す正反対の社会に簡単に転んでしまうと思うんです。</p>
<p>その時代を生きていると、その<strong>時代の偏り</strong>に気づくのは難しいです。<br />
だけど、どの時代も後で振り返れば何かが偏っていたと分かるものです。<br />
20世紀はスポーティな方向に偏った時代だったと深く思います。<br />
だから、この一世紀以上も続いている「<strong>スポーティな時代</strong>」を。そろそろしっかり理解し、習慣化され、使い古されて腐りかけたところなんかを治すべき時期にきているのかもと感じるんです。<br />
そして、その偏りに気づくことで、改めて多様な考え方が認められる社会になっていければと望んでいます。</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>スポーティ度チェック</title>
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		<pubDate>Tue, 18 Aug 2015 14:12:53 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[jinoryu.com]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[社会学 / スポーティな時代]]></category>

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		<description><![CDATA[あなたのスポーティ度をチェックします。 以下の10 <a class="mh-excerpt-more" href="https://bow-ojigi.com/bunkaron/sporty-era/diagnosis_of_sporty/" title="スポーティ度チェック">[...]</a>]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>あなたのスポーティ度をチェックします。<br />
以下の10問の中で、同意できるものをカウントしてください。</p>
<pre>・失敗から学ぶことが大事だ。
・あきらめたら試合終了だ。
・ルールを守らない奴は腹が立つ。
・なんでもしっかり戦略を立てて取り組む。
・メンタルが強くなりたい。
・駆け引きは嫌いじゃない。
・勝負事には熱くなる。
・努力は嘘をつかない。
・応援してるチーム、選手が負けると、かなり落ち込む。
・ゲームは人生の縮図だ。</pre>
<p>カウント数が、</p>
<p>8以上 極めてスポーティ。<br />
5～7 かなりスポーティ。<br />
2～4 少なからずスポーティ。<br />
1以下 ほぼゼロスポーティ。</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
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		<title>極私ってなに？</title>
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		<pubDate>Sat, 15 Aug 2015 12:32:24 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[jinoryu.com]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[文化論 / 極私は踊る]]></category>

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		<description><![CDATA[何を論じる時でも、避けた方がいいのが極論。 その極 <a class="mh-excerpt-more" href="https://bow-ojigi.com/bunkaron/meismist/what_is_meismist/" title="極私ってなに？">[...]</a>]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>何を論じる時でも、避けた方がいいのが<strong>極論</strong>。<br />
その極論で話が合ってしまうと<strong>「極右」</strong>や<strong>「極左」</strong>のような過激な思想だって出来上ってしまう。<br />
だけど、それらを遥かに通り越した最も過激で<strong>最悪最強</strong>な思想が、最近ムクムク育ち始めた。</p>
<p><strong>極端</strong>に<strong>私（自己中心）主義</strong>。<br />
傍若無人で、唯我独尊で、慇懃無礼で、傲岸不遜。<br />
誰よりも自分を愛し、認め、許す人。</p>
<p>それが<strong>「極私」</strong>の人達なのだ。</p>
<h3>○極私の定義</h3>
<p><strong>極私とは</strong></p>
<pre>・年齢、性別、職業は関係なく、
・外見、もしくは内面に、過剰な凶暴性を秘めていて、
・他人が傷つくことに対して全く痛みを感じず、
・物事を二極化して考え、
・異常に勝負事にこだわり、
・極めて自己評価が高く、 
・自分の非を絶対に認めず、 
・常に性急に答えを求め、 
・自分が信じる考えと違う人は、全て敵だと判断し、 
・「世界を自分の思い通りに動かしたい」と、尋常じゃなく考えている</pre>
<p><strong>人たちのことである</strong>。</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>極私の傾向</title>
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		<pubDate>Thu, 13 Aug 2015 15:17:44 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[jinoryu.com]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[文化論 / 極私は踊る]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://bow-ojigi.com/bunkaron/?p=52</guid>
		<description><![CDATA[○極私の人達の傾向 1）極私にとって常識は要！ ☆ <a class="mh-excerpt-more" href="https://bow-ojigi.com/bunkaron/meismist/%e6%a5%b5%e7%a7%81%e3%81%ae%e5%82%be%e5%90%91/" title="極私の傾向">[...]</a>]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<h4>○極私の人達の傾向</h4>
<p><strong>1）極私にとって常識は要！</strong></p>
<p>☆常識的な教養、法律的知識、礼儀作法、言葉遣いが出来ない人間を極端に嫌う。</p>
<pre>・一桁の足し算をスッと出来なかったり、
・赤信号を横断したり、
・服装や髪型、箸やペンの持ち方が変わっていたり、
・会話やメールの敬語、謙譲語がちゃんとしていない人などを嫌う。</pre>
<p><strong>2）極私にとって差別は常！</strong></p>
<p>☆学歴、家柄、職歴、性別、年齢で人を判断する。</p>
<pre>・自分の学歴と同等以下はクズ同然。
・民族、国籍、出身地等に対しての差別意識はハンパない。
・自分が好きな企業・団体・組織に対する執着がすごい。
・女性の人格、人権は基本的に恐ろしい程全く認めていない（男性限定）。
・「○○才なのに～」など、やたら年齢を基準にして批判する。</pre>
<p><strong>3）極私にとって敗者は死！</strong></p>
<p>☆あらゆる物事をゼロサムで考える。</p>
<pre>・なので、はっきりしない物事にすぐに苛立つ。
・なので、「バカは死ね！」と本気で思っている。
・なので、勝負は勝つこと以外意味がないから、その為にあらゆる手段を使う。</pre>
<p><strong>4）極私にとってその他は無！</strong></p>
<p>☆自分が興味のない物事は存在自体を一切認めていない。</p>
<pre>・例えば、野球が好きなら、確実にサッカーをDISる。
・例えばAKB48のファンなら、大概ももクロをDISる。
・例えば自民党を支持していれば、他の野党を半端なくDISる。</pre>
<p><strong>5）極私にとって権力は然！</strong></p>
<p>☆権威欲が過剰に強く、それを得るだけの為に闘う。</p>
<pre>・なので、そういう立場に成りたがり、そう成れば、何かと自慢したがる。
・なので、自分が認めない人が上の立場だと、様々な手段で引きずり降ろそうとする。
・なので、その 立場にない人間の言葉や行動など、何の意味も持たないと思っている。</pre>
<p><strong>6）極私にとって夢など醜！</strong></p>
<p>☆自分は現実論者なので、同じ考えを持たない人はただの理想主義者だと捉えている。</p>
<pre>・現実的に、人間は戦争をするのだから、常に仮想敵国と戦えるだけの戦力が重要だと考えている。
・現実的に、遺伝はあるのだから、血統の良くない人間はちゃんと管理した方がいいと考えている。
・現実的に、日本民族は他民族と比べて圧倒的に優秀だから、正しい指導者が現れれば無敵だと考えている。
・以上の事も理解出来ないで、平和だとか、平等だとか言っている理想主義者がこの国をダメにしていると考えている。</pre>
<p><strong>7）極私にとって私が全！</strong></p>
<p>☆他者を思いやる意識や考え方が全くない。</p>
<pre>・仮に誰かから相談されたとしても、身も蓋もないないような原則論しか言わない。
・議論などで意見がまとまりそうになると、反対意見を持ち出して話を蒸し返す。
・人と何かを共有したり、一緒に何かを成し遂げたりすることに、大して喜びを感じない。
</pre>
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		<title>極私の歴史~黎明期</title>
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		<pubDate>Wed, 12 Aug 2015 16:09:33 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[jinoryu.com]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[文化論 / 極私は踊る]]></category>

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		<description><![CDATA[現在よく取り上げられるクレーマーや様々なハラスメン <a class="mh-excerpt-more" href="https://bow-ojigi.com/bunkaron/meismist/dawnig/" title="極私の歴史~黎明期">[...]</a>]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>現在よく取り上げられるクレーマーや様々なハラスメント、モンスターペアレント、ネトウヨ等、一方的にDISる人達を総称出来る用語でもある「極私」は、一体いつ頃から始まったのだろうか？</p>
<p>その歴史を辿ってみよう。</p>
<p><strong>・「極私」黎明期</strong></p>
<p>1950年代、第二次世界大戦を終え、世界は<strong>言論の時代</strong>へ進んでいた。</p>
<p>19世紀以降、各国々を取り仕切っていた分かりやすい権力構造が崩れた為に、それまで出来なかったあらゆる議論が可能になっていたが、それを更に加速した時代だった。</p>
<p>それはそれまでの様々な慣習や、常識を根本から考えて、ぶつけ合う議論だったので、今までタブーだった（人種、性別、年齢、身分など）様々な差別や偏見、抑圧を論じ、新しいスタンダードを築く意欲に溢れた時代へとなっていった。</p>
<p>冷戦の時代でもあったこの時期は、当然のように思想的な違いが表面化しやすく、時により（デモや紛争、戦争などの）闘争によっての決着を迫られたりする為、一人で悦に入っているだけの、単なる「極私」は相手になどされる訳もなかった。</p>
<p>そして1989年、時は11月9日。東ドイツと西ドイツの二国を隔てた<strong>ベルリンの壁</strong>が崩壊する。<br />
これ以降、雪崩のように共産主義を唱えた国々が崩壊していく。</p>
<p>それは論戦においても一つの決着と見なされたようで、少しずつ狭量な<strong>現実論</strong>や、古めかしい<strong>民族論</strong>、とても怪しい<strong>歴史観</strong>が世界を蹂躙し始める。</p>
<p>それが後の「極私」の世界を構成していくのだった。<br />
（一応誤解がないように言っておきますが、それらの共産主義国家があった方が良かったなどと言うつもりは一切ありません。）</p>
<p><strong>・「極私」初期<br />
</strong><br />
1992年、雑誌『SPA！』（扶桑社）に<strong>『ゴーマニズム宣言』（小林よしのり著）</strong>が連載される。</p>
<p>今、思うと、この小林よしのりさん（※極私度数90％）こそ、「極私」の創始者ではなかったかと感じてしまう程、その態度、言動は際立っている。</p>
<p>わざわざ</p>
<h3 style="text-align: left;">「ゴーマンかましてよかですか？」</h3>
<p>と尋ねてくれるので、一応大人の対応なのかなと思いきや、彼の思惑から外れる人達へのDISりようは尋常ではなく、言論の衣を着た暴言の数々は目に余る程で、それは熱狂的な読者を生み出す原動力でもあったと思われる。</p>
<p>この時期は<strong>新興宗教の時代</strong>でもあり、その後、大変な事件を巻き起こす<strong>オウム真理教</strong>も性急な活動を繰り広げていた。<br />
その中でマスコミからの様々な対応を一手に引き受けた<strong>上祐史浩</strong>さんの、相手の質問を遮って一方的に言い切るディベート術を高く評価する人達も現れたりした。</p>
<p>1991年<strong>バブル崩壊</strong>、1995年<strong>阪神淡路大震災</strong>、<strong>地下鉄サリン事件</strong>を経て、いよいよ日本は混迷していく。</p>
<p>1996年から2001年にかけて行われた<strong>金融ビッグバン</strong>は、それまでの<strong>護送船団方式</strong>を崩壊させ、バブル崩壊の後、立ち直る兆しが見えない日本企業に更なるダメージを負わせる。</p>
<p>そして1999年、自民党と公明党による<strong>連立政権誕生</strong>により、自民党による55年体制も崩れ、それまでしっかりと築いてきたはずだった日本社会の基盤は砂のように脆く崩れ、国民の日本社会に対する不信や諦めは、より深まっていく。</p>
<p>世紀末の中で、段々と高まってくる先の見えない不安感が<strong>「人のことなんか、かまっていられない。」</strong>という心理を生み出し、<strong>自分探し</strong>などという言葉も使われ出して、それぞれが生き残っていく為の道具としての個性・適職を探し始めた中で、極私はジワジワと育っていた。</p>
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		<title>極私の歴史~成長期</title>
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		<pubDate>Wed, 12 Aug 2015 14:30:33 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[jinoryu.com]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[文化論 / 極私は踊る]]></category>

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		<description><![CDATA[・「極私」成長期 また、世紀末はインターネットの成 <a class="mh-excerpt-more" href="https://bow-ojigi.com/bunkaron/meismist/growth_period2/" title="極私の歴史~成長期">[...]</a>]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p><strong>・「極私」成長期</strong></p>
<p>また、世紀末はインターネットの成長期でもあった。</p>
<p>1999年、<strong>二ちゃんねる</strong>が開設される。</p>
<p>後にSNSと呼ばれる、これらのネット掲示板は、自分が働く会社・通う学校の出来事や、政治、文化、芸能、恋愛等の悩み相談など、様々な物事を、家族や、近隣の友達以外と話をする場が出来るようになった。</p>
<p>しかし、初期二ちゃんねるの存在は、<strong>西鉄バスジャック事件</strong>（2000年）の犯人が書き込んでいた等の報道で大衆に知れ渡った感があり、多くの人達にとって、ちょっと特異で不気味な存在でもあった。<br />
（その方向を変えた出来事として<strong>「電車男」</strong>（2004年）の話題がありますが、ここでは割愛します。これ、2004年だったんだね～。）</p>
<p>二ちゃんねるは、ネトウヨであったり、その後様々なサイトで度々起きる炎上であったり、見えないところで一方的にDISるという表現が生まれる土壌を作ったという点においても、大変意義のあるサイトの誕生だった、とも思う。</p>
<p>そんな中、2001年、<strong>小泉純一郎</strong>さん（※極私度数75％）率いる小泉政権が誕生する。<br />
（この年の9月11日、<strong>アメリカ合衆国</strong>で<strong>同時多発テロ</strong>が起きた。まさに21世紀は、こうやってスタートしたのでした。）</p>
<p>小泉さんは、連立政権で死に体になっていた自民党を、蘇らせる原動力になった人でもあったが、その発言の数々は、良くも悪くも後の時代に影響を及ぼしたと思われる。</p>
<blockquote><p>「私の内閣の方針に反対する勢力、これは全て抵抗勢力」</p>
<p>「この程度の公約を守れない事は大した事ではない」</p>
<p>「自衛隊が活動している地域は非戦闘地域」</p></blockquote>
<p>など、<strong>ワンワードポリティクス</strong>や、<strong>小泉劇場</strong>などと評された、その思考の根源は、2004年、国会で<strong>「バカの壁」</strong>（養老孟司著）をイメージさせるような発言で、自衛隊の<strong>イラク派遣慎重論</strong>に対して反論した時に凝縮されていたように思う。</p>
<p>小泉さんが取り上げた「バカの壁」の本のオビには</p>
<blockquote><p>『「話せばわかる」なんて大うそ！』</p></blockquote>
<p>と書かれてあり、内容は</p>
<blockquote><p>「人間というものは、結局自分の脳に入ることしか理解できない」</p></blockquote>
<p>というもので、</p>
<blockquote><p>「どうせ話したって判らない奴は解らない」</p></blockquote>
<p>という小泉さんの極端な考え方と伴って、議論は空虚かも？という雰囲気が世間にジワジワ浸透していく。</p>
<p>ここら辺りから<strong>哲学者カエサル</strong>が言った</p>
<blockquote><p>「人は自分が見たいと思う現実しか見えない」</p></blockquote>
<p>という、かなり狭量な極論が、養老さんの著書と被りながら当たり前のように公で語られ始める<br />
。<br />
この考え方は、他方で<strong>自己実現</strong>という概念</p>
<blockquote><p>「健全な人間は、人生に究極の目標を定め、その実現のために努力する存在である。（カール・ロジャース）」</p></blockquote>
<p>や、それよりずっと以前に語られていた</p>
<blockquote><p>「思考は現実化する。（『頭を使って豊かになれ』1928年、ナポレオン・ヒル著）」</p></blockquote>
<p>などが、かつてないほど広まり、現在では、誰が言ったか、どういう意味だったか知らない人達でも普通に使っているような言葉に成長している。</p>
<p>その小泉さんの発言のおよそ一ヶ月後、イラクで人質になった日本人に対して<strong>「自己責任論」</strong>なるものが、様々なところで声高に叫ばれ、「派遣やむなし」の世論が、より強まっていく。<br />
これは、それまで潜在的に眠っていた極私が、カタチとなって現れ始めたエポックメーキング的出来事でもあった。</p>
<p>そして2004年10月、とうとう日本人の青年が<strong>アルカイーダ</strong>により殺害される。この殺害映像はインターネットで流され、翌年誕生する<strong>YouTube</strong>、2006年<strong>ニコニコ動画</strong>という、ネットで動画を観る時代を、ある意味で推し進める出来事でもあった。</p>
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