脱藩/那須俊平と那須信吾
鎗の達人・那須俊平 文久2(1862)年3月25日夜、脱藩を決意した坂本龍馬は沢村惣之丞と共に梼原に住む那須俊平の家を訪ねます。 那須俊平は文化4(1807)年1月2日、土佐藩高岡郡梼原 […]
嶺里ボー 月夜の下でKindleを読む
鎗の達人・那須俊平 文久2(1862)年3月25日夜、脱藩を決意した坂本龍馬は沢村惣之丞と共に梼原に住む那須俊平の家を訪ねます。 那須俊平は文化4(1807)年1月2日、土佐藩高岡郡梼原 […]
脱藩 江戸時代、武士は藩に帰属し、そこから許可なく出ることはできませんでした。 もし脱藩した場合は、欠落(かけおち)の罪となり、家名は断絶、財産没収、場合によって死刑に処される厳しい処罰を受ける可能性 […]
月形龍之介 「月様、雨が…。」 「春雨じゃ。濡れて参ろう。」 これは、戦前、舞台や映画で大流行した、行友李風(ゆきともりふう)作の戯曲『月形半平太 […]
”人斬り以蔵” 岡田以蔵をこう呼んだのは、真山青果が戯曲用に書いた未完の作品『人斬り以蔵』(昭和8(1933)年)が最初のようです。 その真山青果版『人斬り以蔵』の、貧しく無教養な以蔵が武市半平太に利 […]
以前お話した平井加尾の兄・平井収二郎と坂本龍馬は同い年でした。 天保6(1835)年7月14日、土佐藩士(新留守居組格、三人扶持10石)平井伝八直証(直澄)の嫡子として土佐郡久万村に生ま […]
坂本龍馬が京都で定宿していた寺田屋の女将・お登勢は、龍馬が”おかあ”と呼ぶほど慕い、頼りにしていた人でした。 禁門の変で住む場所を失ったお龍の面倒を快く引き受けてくれたのもお登勢です。 […]
『汗血千里駒』(かんけつせんりのこま)(明治16年(1883年)~)は、坂崎紫瀾が高知の土陽新聞に連載していた坂本龍馬の伝記小説です。 そして坂本龍馬はこの小説によって全国にその名を知られるようになり […]
そして加尾は文久2年(1862)10月、兄・収二郎が京に出るのと入れ替わるカタチで土佐へ戻ります。 それから平井収二郎が京で活躍を始めるのですが、翌年、勤王党の構想する藩政改革を行うための工作をしたこ […]
これまで坂本龍馬と巡り合った女性、楢崎龍と千葉佐那(さな子)を取り上げてきましたが、今回は龍馬が土佐にいた頃の幼馴染み・平井加尾についてお話します。 平井加尾は天保9年(1838年)土佐 […]
坂本龍馬は江戸の武術修行の際、北辰一刀流の創始者・千葉周作の玄武館(千葉道場)の分室道場、桶町千葉道場に通いました。 北辰一刀流の創始者・千葉周作は、それまでの秘密主義的な武術の世界に異 […]