坂本龍馬と武市半平太

尊王攘夷派の崩壊

 

文久2(1862)年4月8日、吉田東洋は皮肉にも藩主・山内豐範に「本能寺の変」を講義した後の帰路に土佐勤王党の那須信吾・大石団蔵・安岡嘉助に殺害され、その首を郊外の雁切橋に獄門にかけ斬姦状を掲げられます。

 

東洋派の藩庁は激怒し、容疑者の半平太以下、土佐勤王党を一網打尽にしようと図りますが、半平太はすでに山内家に通じていたので、山内豐誉たちが土佐勤王党を庇護しつつ政権を掴み、土佐勤王党が藩政の実権を実質的に握っていくことになります。
そして東洋派は藩庁から一掃され、吉田家は知行召し上げとなってしまいます。

 

しかし、東洋暗殺の月の28日、今日の寺田屋では島津久光によって薩摩藩の尊王攘夷派が粛清されます。
逸る半平太の思いの向こうで、攘夷の脈流は確実に断たれ、公武合体へと舵は切られようとしていました。

他藩に遅れを取っていると思い込んでいる半平太は、勅命を長州と同様に土佐にも下させるべく同志を京に派遣して朝廷に働きかけ、山内家と姻戚関係にある三条実美を介して入洛催促の書簡を送り、山内豐範の参覲交代出立が決まります。

このお供は2000人の大部隊だったと伝えられていますが、供奉した武市半平太や岡田以蔵などの中に吉田東洋殺害の犯人探しをしていた井上佐市郎も含まれていて、藩主・豊範が麻疹の罹患で療養を余儀なくされた大坂逗留中に以蔵などの手によって暗殺されます。

土佐藩の守旧派は豊範を京都に行かせず、そのまま江戸へ向かおうと画策しますが、土佐勤王党に同情的な土佐藩大監察・小南五郎右衛門が江戸へ下って老公・容堂に藩主の入洛を説き、容堂もその説得に折れ、豊範に朝命を拝受するよう勧め、それにより豊範は8月25日、京都河原町の土佐藩邸に入り、在京警備と国事周旋の勅命を受け、武市半平太・小南五郎右衛門・平井収二郎・小原与一郎・谷守部など尊王攘夷派が他藩応接役に任じられました

 

 

半平太は周旋活動のために藩邸を離れて三条木屋町に寓居を構え、藩主・豊範の名で朝廷に向けた建白書を起草します。
参覲交代を軽減することや、政令は全て天皇から諸大名へ直接発することなど、王政復古を求めるものですが、幕府がこれをそのまま飲むとは思えず、これではただ喧嘩をふっかけてるだけのようにさえ思えます。

同時に長州の久坂玄瑞ら他藩の志士たちも、三条実美や姉小路公知を始めとした朝廷内の尊攘派公卿と緊密に連携し、朝廷を代表して幕府に攘夷督促する勅使を江戸へ東下させる画策の下、朝廷工作に奔走します。
その裏で天誅と称された暗殺も盛んに行なわれますが、自らを「正義」とし、その対岸においた「悪」を駆逐するという単純で手段を選ばないやり方は、後に大きな代償を生むこととなります。

 

文久2(1862)年10月、幕府に対する攘夷督促と御親兵設置を要求する勅使として、正使・三条実美、副使・姉小路公知が派遣されることになり、山内豊範には勅使警衛が命ぜられ、その警固役には土佐勤王党の者が務めることになります。
そして武市半平太は柳川左門の仮の名を頂いて姉小路の雑掌となり江戸へ随行し、時の将軍・徳川家茂にも拝謁し、幕府からもてなしを受けました。
そして半平太はこの江戸滞在中に山内容堂に7回拝謁しており、妻・富子にその感動の思いを書き送っています。
ただ、吉田東洋と思いが通じていた山内容堂は心の中で武市半平太のことを快く思っているはずもなく、それをまったく見抜けないこの純粋さが半平太の魅力であり、脆さだったような気がします。

 

半平太が勅使護衛の任に当たっていた間、京都で他藩応接役を務めていた平井収二郎は間崎哲馬、弘瀬健太とともに中川宮から令旨を賜り、これを楯に国元にいる先々代藩主・山内景翁(藩主・豊範の実父)に働きかけて藩政改革を断行しようと動いていました。

この収二郎たちの行動が、後に土佐勤王党の崩壊へと結びついていきます。

 

12月に役目を終えて京都に戻った半平太は、入京以来の功績に報いる形で上士格留守居組への昇進を仰せ付けられ、さらに翌文久3(1863)年3月には京都留守居加役となりました。

白札郷士から上士格への昇進は、これまで土佐藩において前例の無い事でした。
しかし、同志たちはこれを半平太を勤王運動から引き離すための容堂の策謀と考えていたのです。

 

 

●『龍馬はん』

慶応3年11月15日(1867年12月10日)、近江屋で坂本龍馬と中岡慎太郎が暗殺された当日、真っ先に斬り殺された元力士・藤吉。

その藤吉の眼を通して映し出された、天衣無縫で威風堂々とした坂本龍馬を中心に、新撰組副隊長・土方歳三の苦悩と抵抗、「龍馬を斬った男」と言われる佐々木只三郎、今井治郎の武士としての気概など、幕末の志士達の巡り合わせが織り成す、生命力溢れる物語……。

坂本龍馬と武市半平太4→

『龍馬はん』が描く幕末カテゴリの最新記事