元治元年(1864年)8月1日、坂本龍馬はお龍と内祝言を挙げました。
実はその前年、江戸の北辰一刀流桶町千葉道場で剣術修行をしていた龍馬は、道場主・千葉定吉の娘、千葉佐那(さな子)と婚約をしています。
坂本龍馬は土佐の日根野弁治の道場で6年に渡って稽古に励み、「小栗流和兵法事目録」を得て、嘉永6年(1853)年4月、藩から剣術修行のための1年間の江戸自費遊学の許しを得たので、幕末江戸三大道場の一つ、北辰一刀流の桶町千葉道場に入門します。
そこには、道場主・千葉定吉と、その息子・重太郎、そして3人の娘の中に佐那がいました。
当時、すでに佐那の剣術は免許皆伝に達するほどの腕前で、特に小太刀が上手かったそうです。
宇和島藩8代藩主・伊達宗城の記録によると、佐那が伊達家の姫君の剣術師範として伊達屋敷に通っていた頃に、当時18歳だった佐那が、後の9代藩主・伊達宗徳(当時27歳)と立ち会って勝ったことが書かれています。
その上、佐那はとても美しかったそうで、先の伊達宗城は「左那ハ、容色モ、両御殿中、第一ニテ」(佐那は剣の腕だけではなく、2つの伊達江戸屋敷に出入りする女性の中で一番の美人です。)と記されています。
千葉佐那の話から少し離れますが、龍馬が江戸に出て間もない6月3日に、ペリー提督率いる米艦隊が浦賀沖に来航します。
坂本龍馬は江戸の剣術修行で、こんな激動の時を肌で感じることができる貴重な機会も得たわけです。
龍馬はその流れを受けるように、剣術修行の傍ら、佐久間象山の私塾に入学し、砲術、漢学、蘭学などを学びました。
そして龍馬は15ヶ月の修行を終え、一度土佐に戻ります。
そして土佐の日根野道場の師範代を務めたりしますが(この時期に徳弘孝蔵の元でオランダ語なども学んでいます)、2年後に、藩から再度の江戸修行の許可を得て、再び桶町千葉道場で剣術修行に励みます。
この2度目の修行中に龍馬と佐那は恋に落ちたようです。
そういう経緯も関係したのか分かりませんが(笑)、龍馬は藩に一年間の修行期間延長を願い出、了承を得たおかげで、更に1年、2人は共に時間を過ごせるようになりました。
この延長期間中に、坂本龍馬は千葉定吉から「北辰一刀流長刀兵法目録」を授けられ、道場で塾頭も努めます。
その後、与えられた修行期間を終え、安政5年(1858年)9月、龍馬はまた土佐に戻ってしまいます。
佐那はこの時、どんな気持ちで国へ帰る龍馬を送ったのでしょうか?
この年は井伊直弼が幕府大老に就任し、激動の時代の鐘を鳴らし始めた時期です。
目まぐるしく様々な勢力が入り乱れる中で、龍馬は文久2年(1862年)3月24日、とうとう土佐藩を脱藩します。
そしてその年の8月、江戸に行き、年末から年始にかけて福井藩士・松平春嶽や、幕府軍艦奉行並・勝海舟と運命的な出会いを果たします。
そしてこの頃に、佐那は龍馬と婚約をしたようです。
(千葉佐那は後に「安政5年(1858年)に婚約した」と述懐していますが、坂本龍馬が姉・乙女に宛てた手紙で推し量ると、この時期が妥当だろうと思います。)
佐那の父・定吉は龍馬の為に坂本家の紋付を仕立てます。
そして佐那はその場で、
「天下静定の後を待って華燭の典を挙げん」(平穏の時が訪れたら結婚式をあげましょう。)
と言ったそうです。
これは脱藩という罪を犯してしまった龍馬とは、まだ結婚に至れないという意味なのでしょうか?
それとも江戸幕府の時代が終わって、新しい時代が訪れるまでという意味なのでしょうか?
当時、龍馬は姉・乙女に3通の手紙を出しています。
一通は勝海舟との出会いの手紙。
”エヘンエヘン”言ってます。
もう一通は
”日本を今一度洗濯いたし申し候”
という言葉が綴られた手紙。
そしてもう一通が、千葉佐那のことを紹介した手紙でした。
”日本を今一度洗濯いたし申し候”と、
佐那が求めた”天下静定”
静と動がぶつかり合うような、この2人の思いの果てが、永遠の別れに繋がっていったのでしょうか?
音信不通になってから4年後の慶応3年(1867年)11月15日、坂本龍馬は近江屋で殺害されてしまいました。
龍馬の死の知った佐那は、龍馬の紋付の片袖を形見にして、生涯大事にしていたそうです。
明治維新の後、千葉道場は閉鎖。
千葉佐那は学習院女子部に舎監として奉職した後、千住で家伝の灸を生業として過ごし、明治29年(1896年)に59歳で亡くなりました。
生前、明治7年(1874年)に山口菊次郎と結婚をしますが、数年後に離婚。
山梨にある墓石には「坂本龍馬室(室は「妻」の意)」と彫られています。
嶺里ボーの小説『龍馬はん』には、佐那がどうして龍馬をこんなに愛していたのか頷けるような、魅力的な坂本龍馬の生き様を感じて頂けます。
嶺里 ボー『 龍馬はん』
「野暮ったい恰好してんけど、ああいうオトコは、案外オンナにモテんねんで。」
維新の志士、坂本龍馬が暗殺された近江屋で、真っ先に殺された力士・藤吉の目に、龍馬や幕末の侍たち、町民の暮らしはどう映っていたのだろうか?
倒幕、維新の立役者として名高い坂本龍馬・中岡慎太郎の陰で、ひっそりと20年の命を閉じた藤吉に眩しいほどのスポットを当て、涙や感動・笑いやほのぼのなどをいっぱい詰めた、嶺里ボーならではのユニークで豪快な一作です……。→ 続きを読む