土方歳三と蝦夷共和国

元新撰組の副隊長・土方歳三は明治2(1872)年5月11日、新政府軍の箱館総攻撃を受け、箱館一本木関門で防衛戦を繰り広げていました。

 

土方歳三が、終(つい)の場所として定めた蝦夷の地。

 

土方歳三は、蝦夷共和国(俗称)・陸軍奉行並の責を果たす為、馬上で部隊の指揮を執っている最中、腹部を銃で撃ち抜かれて落馬します。

それを見て側近がすぐに駆けつけましたが、歳三はすでに絶命していました。

 

この函館戦争で、蝦夷共和国の閣僚8名の中で戦死をしたのは、土方歳三ただ一人。

総裁の榎本武揚を含め、ほとんどの閣僚は戦争後に降伏し、その内の数名は新政府の様々な役職に就き、後の国の発展に貢献します。

土方歳三は、このあっけない幕切れを知ることなく35年の生涯を閉じたわけですが、それがきっと土方歳三らしかったのだろうと感じます。

 

みなさんもきっと目にしたことがある、この一枚の写真。

 

 

髷を切り、洋服を身にまとっても、刀を備え持った土方歳三。

彼の目に、幕末・明治の動乱は、どのように映っていたのでしょうか…。

 

土方歳三が榎本武揚らと共に収めようとした蝦夷島(北海道)は、坂本龍馬が開拓を熱望した場所でもありました。

龍馬は再三、蝦夷に向かおうとしましたが、その前に船が沈んだり、他の予定が入ったりして、結局、蝦夷に行くことさえもできませんでした。

 

史実の中では、おそらく出会わなかった坂本龍馬と土方歳三。

だけど、もし龍馬が生きていたら、二人は蝦夷の地で、敵として一戦を交えていたのかもしれませんし、ひょっとしたら、龍馬が新政府と蝦夷共和国の間に入って、無用な戦は回避され、歳三は死なずに済んでいたのかもしれません。

 

嶺里ボーの小説『龍馬はん』には、そんな、幕末の世を憂う土方歳三が坂本龍馬を追います。

 

“土方はん…。前にも増して、心が荒れてるみたいな佇まいや。

その気配を感じたのか、店主は静かに奥に下がって、そのまま出てきまへん。
仕方ないさかい、ワテが断ろうと、土方はんの側に寄ると、

「おめぇ、坂本のこと知ってんな?」

と、ボソっと呟くように言わはった。

鋭い目ぇや。
その目を見たら、何が言いたいか、何がしたいかは、すぐに分かりましてん。

抜粋:: 嶺里ボー “龍馬はん”。

 

嶺里ボーのKindle小説「龍馬はん」

嶺里 ボー『 龍馬はん』 

 

 

「野暮ったい恰好してんけど、ああいうオトコは、案外オンナにモテんねんで。」

維新の志士、坂本龍馬が暗殺された近江屋で、真っ先に殺された力士・藤吉の目に、龍馬や幕末の侍たち、町民の暮らしはどう映っていたのだろうか?

倒幕、維新の立役者として名高い坂本龍馬・中岡慎太郎の陰で、ひっそりと20年の命を閉じた藤吉に眩しいほどのスポットを当て、涙や感動・笑いやほのぼのなどをいっぱい詰めた、嶺里ボーならではのユニークで豪快な一作です……。→ 続きを読む

 

 

 

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